ミチ・オカク「量子超越」2章 コンピューティングの歴史

【コンピューティングの歴史をたどる長い旅】

エーゲ海の底で発見されたアンティキテラの機械は、紀元前150~100年頃に作られた世界最古のコンピュータとして知られています。1901年、ダイバーたちは難破船の中から陶器や宝飾品に混じって、このサンゴに覆われた奇妙な石片を引き揚げました。その後の科学者たちの研究により、この機械が月や太陽の動き、さらには日食の予測や惑星の軌道を計算するための高度なアナログコンピュータであったことが明らかになりました。この発見は、古代人がどれほどの知識と技術力を持っていたかを示す象徴的な出来事です。

【バベッジの階差機関とその夢】

中世に科学の進歩が停滞した後、19世紀に入ると科学者たちは再び高度な計算機への関心を取り戻します。この時代の代表的人物がチャールズ・バベッジです。彼は計算誤差を減らし、正確な海図や天体観測を可能にする機械式コンピュータ「階差機関」を設計しました。しかし、資金不足や技術的な限界から完成には至りませんでした。それでも彼の設計図は後の技術者たちに大きな影響を与え、彼が描いた未来のコンピュータのビジョンは、ようやく20世紀に実現を見ました。

【ゲーデルの不完全性定理と数学の限界】

19世紀から20世紀にかけて、数学者たちは「数学は完全か」という根本的な問いに挑みました。ドイツの数学者ヒルベルトは未解決の問題をリスト化し、数学の完全性を証明しようと試みましたが、1931年にオーストリアの数学者ゲーデルが発表した不完全性定理により、この夢は打ち砕かれました。ゲーデルの定理は、すべての数学的命題が証明可能であるわけではないという驚愕の事実を示しました。この発見は数学界に大きな衝撃を与え、数学が人類の理解を超える複雑な構造を持つことを示唆しました。

【アラン・チューリングとコンピュータ革命】

ゲーデルの不完全性定理に触発された若き数学者アラン・チューリングは、1936年に「万能チューリングマシン」の概念を提案しました。この理論的モデルは、計算可能性の本質を定義し、現代のコンピュータの基礎を築きました。チューリングはさらに「チューリングテスト」という概念を導入し、機械が「思考」できるかどうかを判断する基準を提供しました。彼の研究は、今日の人工知能やデジタル技術の進展においても重要な基盤となっています。

【戦争とコンピュータの進化】

第二次世界大戦中、チューリングはナチスの暗号「エニグマ」を解読するための計算機「ボンブ」や「コロッサス」を開発しました。これらの機械はデジタルコンピュータの先駆けとなり、暗号解読の成功が戦争の勝利に大きく貢献しました。コロッサスは真空管を用いた世界初のプログラム可能なデジタル電子計算機であり、現代のコンピュータの原型となりました。

【チューリングの悲劇と遺産】

戦後、チューリングは人工知能の研究に戻りましたが、同性愛を理由に不当な迫害を受け、最期は悲劇的な結末を迎えました。それでも彼の業績は、現代社会に計り知れない影響を与えています。今日のあらゆるデジタルデバイスは、チューリングの理論に基づいて動作していると言っても過言ではありません。

【量子コンピューティングへの道】

チューリングが示した決定論に基づく計算モデルは、すべての問題が予測可能であるという前提に立っています。しかし、量子力学の登場により、物理世界には根本的な不確定性が存在することが明らかになりました。これにより、従来のコンピュータでは解決できない問題を解決するための新たな計算モデル、すなわち「量子コンピュータ」が注目されるようになりました。量子コンピュータは、古代のアンティキテラの機械が宇宙をシミュレートしたように、原子レベルの現象をシミュレートし、より深い理解を可能にする技術として期待されています。

【未来への展望】

量子コンピュータは、従来の計算機が持つ限界を超え、新しい科学技術の地平を切り開く鍵となるでしょう。この技術は医療、気候変動、人工知能、暗号技術など、さまざまな分野で革命を起こす可能性を秘めています。そして、この道のりは、アンティキテラの機械やバベッジの階差機関、チューリングの革新的な理論によって切り開かれた長い歴史の延長線上にあります。

コンピューティングの歴史は、人類が「宇宙とその仕組みを理解する」という永遠の挑戦の一部です。この壮大な旅の次なるステージを切り開くのは、量子コンピュータという究極のシミュレーション技術かもしれません。